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辛抱を教えなければならない時代


 我が子に「辛抱する力」を身に付けさせるということを考えた時に、昔の親に比べて、今の親の方が大変になっていると思います。

 私が小さかった頃、家があまり豊かでなかったこともあり、我が家には冷蔵庫がありませんでした。今となっては、冷蔵庫のない生活をイメージすることは難しいですが、私の記憶の中には、井戸水をかけ流しにしながらスイカや麦茶を冷やしていた映像が、薄ぼんやりながら残っています。ですから、のどが渇いたからといって、冷たいジュースやアイスクリームを好きな時に飲んだり食べたりすることは出来ませんでした。

 また、お風呂も五右衛門風呂で、薪をくべてお風呂を沸かすことが小学生の頃の私の日課でした。ですから、お風呂が沸くまでは、ずっと火の番をしていなければなりませんでした。テレビも1台しかなかったので、父親が野球を見ている間は、見たいテレビ番組があっても、我慢するしかありませんでした。

 では、私の父や母は、そのようなことを通じて、私に「辛抱する力」を身につけさせたかったのかというと、そうではありません。そういう生活をさせざるを得なかったのです。(それでも、父や母の幼少期に比べれば、はるかに豊かな生活を送っているのですが。)

 その証拠に、おじいちゃん、おばあちゃんとなった今、孫であるケンちゃんに甘いこと、甘いこと。我が子にさせてやれなかった贅沢を、孫にさせてやりたいと思うのは、孫の笑顔を見たいということ以上に、本能のようなものであると思います。

 日本の社会が、これから厳しい方向に向かうことは、最近の原油高を見ても想像に難くないですが、まだまだ充分に豊かさを保持している社会だと思います。ほとんどの家庭に冷蔵庫があり、好きな時に冷たいジュースを飲むことが出来たり、自分の見たいテレビ番組が父親と異なっていても、録画しておいて後から見ることが出来たりします。

 そのことが、子ども達から辛抱する力を奪うことになりました。以前の親なら、意識しなくても辛抱させることが出来ましたが、今の親は、余程意識しなければ、子ども達に辛抱するということを体験させることが出来なくなったといえます。

 今、多くの学校で起こっている学級崩壊についても、子ども達には「授業がつまらないから、聞く気がしない。」と言わせ、先生は「もっと子ども達の興味や関心を高める面白い授業を工夫しなくては。」と反省させ、親は「前の先生と違って、今度の先生は力がないので、子どもが勉強しなくなった。」と思わせてしまう、「子供に辛抱は不要」の論理が働いているように思えます。

 先生の立場として、魅力ある授業をしようと日々努力するのは素晴らしいことだと思います。ですが、そのような考え方に偏ってしまって本当によいのでしょうか。上の論理を言い換えると、「つまらない授業をしている先生が悪い。」だから、「つまらない授業は、まじめに聞かなくてもよい。」となりはしないでしょうか。

 この論理が通用すると、とんでもないことになります。テレビで紹介されていた例ですが、「書店に、本が盗みやすいように並べられていたから、うちの子が本を盗んだ。本をこのように並べている書店側が悪い。」というものがありましたが、「つまらない授業は、聞かなくてもよい。」と同じではないでしょうか。

 昔の子どもと違って、今の子ども達は、(24時間営業のコンビニに象徴されているように)辛抱しなくてもよい社会に生きているので、昔の親と違って、今の親は、意図をもって子ども達に「辛抱する力」を身につけさせなければならないのではないでしょうか。

 まあ、今回のコラムは、「つまらない授業であっても、辛抱して受けなさい。」という主張になるので、今の時代の風潮からすれば、とんでもない意見だとは思います。とんでもない意見であることは承知した上で、本当に我が子にとって大切なことは何かを考えてもらいたいと思います。

2008/07/15

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