目次へ

個性の時代と内申書


公立学校の入試において内申書重視が高まっていますが、そのことが本当に子供たちのためになるのでしょうか?

 近年、全国的に公立学校の入学者選抜において、内申書重視の傾向が強まっています。その趣旨は、過剰な受験競争を防ぐということだと思います。また、お母さん方にも、当日のテスト1回で決まるよりも、日頃の努力を見てもらいたいというニーズがあったのも確かです。

 ところが、実際に導入されてみると、当初予測されていたことも含めて、さまざまな問題が生じています。

 内申書の基準になるデータとして、欠席回数・遅刻回数・部活動の状況・提出物の状況などは良いと思いますが、積極性や興味・関心を測るものさしとして授業態度や挙手の回数を用いるのは、思わぬ落し穴があります。

 例えば、中1生くらいだと、男の子と女の子では精神的な成長度が違うので、男の子は、まだまだやんちゃだったりします。ですから、授業態度も男の子の方が、どうしても女の子より低い評価になりがちです。まだ、成長の過程にある子供たちを過去にさかのぼって評価するのは、成長した後の人格を否定している感すらあります。

 また、積極性についても、日本には「謙譲の美徳」という価値観もあり、あまり目立ちたくないという性格の子供たちもいます。そういう子たちも、残念ながら低い評価になってしまいます。たとえ心の中で、学習内容に強い興味や関心を持っていたとしてもです。

 当然、学校の先生方も子供たちの性格を把握していますが、残念ながら目に見えないことを評価することは出来ません。なぜなら、それでは評価される側に評価の基準が伝わらないため、より多くのトラブルを生むからです。多くの人に納得してもらうためには、目に見える基準を用いるしかありません。そのため目に見えない心の中の頑張りを評価出来ないのです。

 このように内申書で評価をすることは、大きな矛盾を抱えています。その矛盾を抱えたルールの中で、ルールに合わない子供たちが過小に評価されることが残念です。また、個性の時代と言われているにも関わらず、子供たちの個性が、内申書という没個性のルールによって縛られることが心配です。

 私の知り合いの公立学校の先生が、内申書重視で入学した生徒たちを指導して、以前より教えやすくなったと言っていました。なぜなら、先生の言うことを良く聞く子供たちだからです。

 悪くはないと思います。少なくとも、先生に暴力を振るうような生徒は、いない方がいいに決まっています。でも・・・。

2005/5/13

次へ
目次へ