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学ばざる者 遊ぶべからず


 私の知り合いの子に、「それなら、○○をやめる。」とすぐに切り出す子がいます。いさぎが良いといえなくもありませんが、この言葉には、「おどし」の要素が入っています。おそらく、その言葉を発している本人も、その子のお母さんも、そのようなイメージでは受け止めていないと思いますが。

 「それなら」というフレーズには、そんな条件を出すなら、こちらは全部やめてもいいのよという気持ちが込められています。たとえ、○○の指していることが本人のお気に入りのことであっても、条件付きではいやだと言い切るだけの覚悟も持っています。

 日頃から充分に豊かな生活(おやつやおもちゃがたくさんあるなど、物質的に満たされている。)をさせてもらっているために、少々の犠牲をいとわない、いさぎよい決断が出来るのではないかと感じます。

 具体的には、「毎日きちんと勉強するのであれば、ゲームのソフトを買ってあげる。」といってもらっても、「そんな条件がつくくらいなら、買ってもらわなくていい。」と拒否するいさぎよさを持っています。親のえびで鯛を釣ろうとする心理をきちんと読んでいるので、親の出す条件をのんでゲームのソフトを買ってもらっても、逆に高くつくことを知っているのです。

 ここで立場の逆転が起こります。親の計算(この条件なら、イエスと言うだろうという読み)の裏をかいた答えを返されることで、親は慌ててオロオロしてしまいます。そして、子供たちは、自分の言い分が通ることに自信を持ち、自分の主張通りの楽な生き方を選択します。

 だからこそ、親子関係の本質を見失うことなく、正しい判断をすることが必要だと思います。勉強を頑張ることが大切なことに変わりはありません。あくまでも勉強の大切さを訴える親の主張が通る親子関係にすべきだと思います。

 そのためには、「それなら、買ってくれなくていい。」という子に対して、どういえば良いのでしょうか。そこで出てくるのが、「学ばざる者 遊ぶべからず」です。勉強をきちんとしないことは、大人で言えば、働いていないこと(専業主婦のお母さんで言えば、家事を放棄していること。)と同じです。大人の場合は「働かざるもの 食うべからず」ですが、子供なので、「遊ぶべからず」です。

 勉強しないことを正当化しようとするなら、お小遣いもなし、パソコン・ゲーム機も没収、テレビも禁止、マンガも買わないで良いのではないでしょうか。自分の今の豊かさが、お父さんやお母さんの労働の上に成り立っていることを自覚させることが大切だと思います。

 中学生くらいになると、親と子の力関係が逆転している家庭もあります。そうなってしまうと何も出来なくなるので、きちんと大切なことが伝えられる小学校の低学年の内に、本当に大切なことを伝えていくことが親の責任かもしれません。

 とは言っても、遊びの方がクローズアップされて、勉強が悪者になることが多い今の時代は、「学ばざる者 遊ぶべからず。」は、世間から浮いてしまいますね^^;。皆さんは、どう思われますか?

2007/11/16

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